
チャコリー、ブドウ畑から知るその起源と伝統
チャコリーは、DOアラバ、DOビスカヤ、DOゲタリアと三つの原産地呼称があるということにとどまらず、ヨーロッパの歴史の一部であるといえます。
チャコリーの歴史という投稿で説明した通り、はじめは自家消費のためにつくられていました。その後19世紀の初めには本格的に生産され、外来のアルコール飲料以上に流通するようになりました。
20世紀に入り、フィロキセラ虫害とこの地域における産業の発達に伴いブドウ畑は荒廃し、消滅寸前となります。ところが80年代に入ると小さな生産者のグループがブドウ畑を復活すべく立ち上がります。この努力のおかげで、1989年DOゲタリア、1994年DOビスカヤ、そして2001年DOアラバと、次々と原産地呼称が世に知られることとなるのです。
この三つの原産地呼称は、その土壌の違いや海からの近さなどをふまえ、それぞれ異なる特徴のチャコリーを生み出しています。
チャコリーはこのあたりではお馴染みの”ピンチョス”とともに広く楽しまれています。
そのピンチョスの作り方を知りたいという方はぜひレシピコーナーを御覧ください。